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お尻に腫れ物

No.108(2003.03.10)


初めてお尻の右側のほっぺに大きな腫れ物ができたのは今から20年以上前で、私がまだサラリーマンをしていた時でした。

当時既にフレックス・タイム制を導入していたその会社に私が出社する時刻は、決まってタイム・リミットの午前10時でした。

何故なら連日帰宅前に同僚と酒を飲みに行き、深夜に帰宅して実家では寝るだけという生活を続けていたからです。

朝早く起きれないために出社が遅くなりそれにつれ退社時刻も遅くなるので、会社を出るのがちょうど飲みに行くのによい時間帯になるという悪循環が日常化していました。

こんな生活を続けていたわけですからその頃の私の体質は根っから劣悪であったと思われます。

職種は1つの都道府県に1週間単位で出張し現地の取引先の担当者と同行して行なう営業で、月のうち半分は出張という状況でした。

ある年の初春に東北地方の隣り合う2つの県を2週間連続で営業するという出張がありました。

1週目には何も問題がなかったものの、体質の悪さに加え外食が続いたことが引き金になったのか2週目の出張先でお尻が腫れてきたのです。

営業時に車で移動する際には助手席に座っているだけでよいのですが、お尻の腫れ物に体重がかかると激痛が生じるので不自然ながらも重心を左に寄せて誤魔化して数日過ごしました。

腫れ始めてから4日目くらいだったでしょうか、日中の痛みは最高潮に達し、ホテルに戻ってからは身体が熱っぽくなり頭もボーっとしていました。

その晩シャワーを浴びた時に腫れ物がつぶれ悪血が流れ出ました。

その後はそれまでの痛みが嘘のように消え、心身ともに妙にスッキリしたことを覚えています。

それ以降は転職、結婚にともない玄米食を始めたこと、さらに玄米菜食にしたこと、などなどのお陰かお尻に腫れ物ができることはありませんでした。

ところが、農村に移り住んで6年目に公民館長を務めていた時、再びお尻の右側のほっぺに腫れ物ができたのです。

再発の原因としていくつか思い当たる節がありました。

農村に移住後は集会、社人として働いた葬式など自宅以外では何でも食べるようになっていたこと。

公民館長を務めた年は公務のために汗水流す肉体労働(敷地の草刈りや農作業)に従事することがほとんどなかったこと。

ただしその年は公民館長として立ち会わなければならない地籍調査で山に入ったので夏場には例年以上に汗をかき、秋から冬にはまったく身体を動かさないという年間を通じての極端な生活の変化があったこと。

以上のような経緯があった後の春先に腫れ物はできました。

ただ、サラリーマン時代にできたものよりも症状は軽かったです。

さらに、山にこもってからも5年程前に一度暖冬の正月明けにごちそうを食べ過ぎたためか同様の腫れ物ができたことはありました。

その時は少し痛みも大きかったので民間療法の里芋パスタを当てて早く回復するよう努めました。

ここ数年は激しい痛みを伴う腫れ物がお尻にできることがまったくなかったので、そんな過去はすっかり忘れて過ごしていました。

そんな矢先お尻の右側のほっぺにかすかな痛みとふくらみを感じ始めたのが先月末でした。

日を追うごとに痛みも腫れも激しくなる一方で、数日後からは37度5分の微熱が続き、さらに毒素が身体中をめぐっているためか軽い頭痛を感じる日もありましたし、2晩ほどはびっしょりと寝汗もかきました。

今度の腫れ物は重症なので当然早い段階から里芋パスタを当てましたが当てている時に痛みがやわらぐ効果はあるものの、腫れがひいたりつぶれたりする気配が感じられないまま日々が過ぎていきました。

ついには食欲もなくなり2日ほどは水分以外は欲しくなくなりました。

結果として体重は3キロ半減りました。

そして激痛のために眠れない夜が2晩続いた翌日、腫れ始めてから約10日後にやっと腫れ物から少しずつ悪い血が抜け始めてくれました。やれやれです。

それからさらに3日経ち、ようやく日常生活には支障のない段階まで回復しました。

ここ数年に渡って、塩味だから大丈夫などと調子に乗って酒の肴として地鶏の炭火焼を食べ過ぎていたこと、ポタポタ汗がたれるほどの激しい肉体労働をしていないこと、などを深く反省させられる良い機会になりました。

痛みが激しくなったお陰で何の苦もなく連日断酒ができたことも嬉しいおまけです。

症状が重かった分だけ回復後の爽快感も格別であることが実感されます。

芽吹き時である春先という気候が人間の身体に与える影響の大きさには恐れ入ってしまうしかありません。


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