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薄氷上の利便性

No.58(2005.09.03)


今回の表題は内容を大風呂敷化してありますので、悪しからず。

農村に住んでいた頃、風呂は五右衛門シャワーは太陽光温水器のみ、という環境に優しげな我家でした。

当地に移り住む際に、ある私的理由で私の活力が異常に低下していたためなるべく便利で楽な生活に変更する必要にせまられていました。

っで今現在、風呂は温泉シャワーはボイラー使用、となってましてシャワーは当然のごとくサーモスタット付湯水混合栓につながってます。

先月のある日のこと、突然シャワーからお湯が出なくなりました。

ボイラーが着火しないので、最初はボイラーの故障かと疑いました。

同じボイラーにつながっている洗面台ではお湯と水が別の栓になっていることを思い出した私は、洗面台のお湯が出るかどうかを恐る恐る確かめたところ、、、

無事出湯。

ってことはサーモスタット部分が壊れたのだと察した私。

そういえば五年くらい前にシャワーの温度調整がおかしくなってサーモスタット部分のカートリッジを交換してもらったっけ。

っと即INAXのアフターサービスセンターに電話連絡すると数日後には前回来た人とは別人が修理に来てくれました。

これで安心。

と思った私は甘かった。

温泉の蒸気に九年近くもさらされたためでしょうか、カートリッジを外す際にゆるめるネジの頭が腐食しかけてるそうな。(汗)

それでもなんとかネジを回せないかと修理人さんが悪戦苦闘すること数十分。

でもやっぱ駄目。(泣)

さらに、修理不能扱いにしますので出張料だけ負担してください、との踏んだり蹴ったり展開。(痛)

カートリッジだけの交換なら混合栓本体はゴミにならずにすむ、という私の中途半端エコ思想が敗因です。

結局地元の水道屋さんに別メーカーの混合栓をつけてもらいましたとさ。

最初っからそうすればよかったぜ、というのも見す見すミスなわけですが、、、

さあっ、ここから大風呂敷です。(苦笑)

ワンタッチでシャワーから適温のお湯が出るという便利さって恐くない?(呼びかけ調で)

朝シャン世代以降の若者達は、洗面器にお湯をはってそこに頭を入れる、という洗髪法をはたして知っているのでしょうか。

先日「石油ピーク論」という主張があることをネットで知りました。

事実かどうかは分かりませんが。

それはそれとしても、国民一人当たりの石油消費量がアメリカ合衆国に次ぐといわれている我国(これも本当か?)の贅沢三昧な生活習慣に強い疑問と漠然とした不安を感じる今日この頃です。

飲むことができるきれいな水で水洗便所を流す際には特に罪悪感を感じます。

石油がすぐにはなくならないとしても、近いうちに天変地異や国際情勢の大きな変化があると薄々感じている人は多い、のかどうか私は知りません。

もう少し私の気力が回復してきたら、不便だけれどもしっかり地に足のついた生活法に変えようかな、と真剣に考え始めています。

少し前に「もったいない」という言葉が注目を集めていました。

しかし大半の日本人は既に「もったいない」という感覚が理解できないのではないかと思います。

同様に「ばちがあたる」という言葉も、もはや忘れ去られそうですね。

西洋(ばちあたり)文明で先を行っているとされる先進国のうち、どこの国に最初に「ばちがあたる」のでしょうか。


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