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いつも同じ顔触れ

No.51(2004.11.28)


農村に住んでいた頃に外で酒を飲みたくなった際には、顔見知りと合わないようにするために用心してわざわざ隣町の居酒屋さんまで遠征していました。

当地に移り住んですぐの頃には同様に車で30分ほどの繁華街まで飲みに行くことも時々あったものの、飲み終えて飲んでいない連れ合いに運転してもらって家に帰るまでの車中で酔いがすっかり醒めてしまい、結局家でまた飲みなおすことになってしまうのでした。(苦笑)

そんなわけで、馬鹿馬鹿しいので外へ飲みに行くことをしばらくの間止めていました。

が、その数年後のこと隣人に田舎料理を食べさせてくれる居酒屋がごく近くにあることを教えてもらってからは、気に入ったその店にだけは月に一度か二度足を運ぶことを常にしていました。

たまに店で他の常連さんと話すこともありましたが、私は別荘地に住んでいる何やってんだかよく分からない変人、ということで納得してもらえたので気が楽でした。

一年前から地元に勤めるようになった私は結果として公的な顔ももつようになりました。

それ自体は私にとって別にどうということはありません。

その店でここ数カ月に渡って職場で知り合った地元の人達とたまたま連続して遭遇してしまいました。

知り合った人達が皆この店の常連だというのもここが過疎化しているところであることを思えば驚くには値しません。

狭い閉鎖社会ではどこへ行ってもいつも同じような顔触れになってしまうことは必然であり仕方がないことなのかもしれません。

常連仲間で私と同じよそ者の人から聞いたところによると、地元の皆さんが興味をもっているのは私のプライバシーに関することや我家の台所事情だそうです。

都会から移り住んで来た人で同じようなことに関心がある場合は直接私に質問してくることもあります。

が、田舎の人はどういうわけか間接的に知ろうとするようです。

本人に直接聞いた情報の方が正確だと思うんですけど、、、(苦笑)

まあ、このあたりの裏事情は農村時代に知ってしまいましたが。

今回私は閉鎖社会での社交が苦手なんだと改めて思い知った次第です。

で、そのお店に行くのをしばらく止めることにしました。

*追記*

田舎が悪いっていうわけじゃあないんですが、、、

「マディソン郡の橋」(古)の主人公の女性(名前失念)の気持ちに共感できた人なら分かってもらえる「感じ」とでも言いましょうか。


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