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テレビ放送の弊害二つ

No.18(2002.09.30)


私は生後すぐに父の転勤先である北陸の教育熱心なことで有名な某県に行き、小学1年の夏休みまでそこで育ちました。

私が3歳になるまで我家にテレビはなかったと以前にも述べました。テレビが来てからも小学校に入学する以前には番組を見た記憶が残っていません。

小学生になった頃にはNHKや民間放送局の番組を見るようになっていました。当地では1年生でも毎日必ず宿題があったために帰宅してそれを終えるまでテレビ番組を見ることを許されなかったのでよく覚えているのです。

夏休み以降東京に住むようになってからは幼心にも今で言うカルチャーショックを強烈に感じました。

区立小学校ではほとんど宿題などなかったので放課後にはすぐに遊べることは嬉しかった反面、某県での体験からこんなに楽ばかりしていて大丈夫なのかなぁ、と子供ながら心配していたことも思い出されます。

さらにテレビの民間放送局の数が多いことにも驚きました。今以上に地域格差があったのですね。

そんなわけで以後は夕方に帰宅するとテレビ三昧という日々が続くようになったわけです。

3歳までが脳の発達の第一段階で10歳までが第二段階だと最近知りました。

ということは私の脳も第二段階の後半には相当テレビ番組の悪影響を受けているわけで、いまさらどうしようもないものの先人とは異なった脳になってしまっていることは自覚する必要があるでしょう。

日本のテレビ放送にはもう一つ根本的な大問題があります。

前世界大戦敗戦後にアメリカ合衆国は7年間日本を占領し、その目的は我国の伝統、文化の破壊でした。
「自由」と「平等」が素晴らしいものであることに異議を唱えることは絶対に許されず、あらゆる媒体は厳しい検閲にさらされました。

農村に住んでいた時には伝統芸能や神楽舞が出来損ないになっている実態に接して進駐軍の占領政策が実効性のあるものだったことを実感できました。

日本が独立した後も、アメリカ合衆国は日本の共産化を防ぐという口実でテレビ放送を都合よく利用してきたという経緯があります。

30年ほど前にあるテレビ番組で男性テレビタレントが「戦後の自由な空気を知っている我々の世代としては許せない・・・」という発言をしていたのを覚えています。

戦後の自由とは敗戦前までの日本の国家権力に対する自由であって、新権力であるアメリカ合衆国の進駐軍に対しては一切の批判が許されなかったというのが事実です。

余談ですが先にあげた馬鹿タレント達の共通点は女性の(名字ではなく下の)名前を呼び捨てにすることです。

要するに長いものにはまかれろという、誇りや自負心のかけらもない連中が始めたのが我国でのテレビ放送なのです。

それを知ら(され)ずにテレビ番組を見続けて育った世代が今度はテレビ番組の制作をするようになっている現状で、阿呆馬鹿番組が氾濫するのは歴史的必然と言えるでしょう。


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